被爆者の証言集より
第1集 1988年4月発行
第2集 1996年2月発行

第3集 2005年8月発行
第4集 2016年4月発行

【広島】
母から聞いた原爆 広島駅付近の国鉄食堂で被爆〔初出〕
大谷 博  江別市

母が被爆した場所は国鉄職員向けの食堂の中。爆心地から約2km離れていましたが、バラックのような粗末な建物で、一瞬にして崩れ落ちたそうです。一緒に働き始めた同郷の友達と食事を終え、一度外に出たのですが、先輩たち数人が食事にやってきたので、一緒に職場に向かおうと中で待つことにしました。座って間もなくでした。不思議な光に包まれたと思うと同時に叩きつけられました。気が付く建物は崩れ落ち、がれきの中にいました。
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被爆体験を受け継ぐ〔初出〕
川去 裕子  札幌市

父は生涯原爆で亡くなった妹のことを忘れたことはなかっただろうと思います。私に被爆した当時のことを語ることはありませんでした。でも、残されている日記には、焼けた家にあったいろいろなものは、もったいないことをした、今あればどんなにいいだろう、でもそれよりも何よりも妹が亡くなったことが惜しいと書いています。
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母の被爆体験と二世としての私の思い〔初出〕
土谷 節子  帯広市

2015年8月5日、奇しくも原爆投下の前日に母は89歳で亡くなった。亡くなるまでの10年間、ALSを発症し自宅介護を続け、2年前からは認知症を患い施設などにお世話になった。「8月6日」前日に亡くなったことに何かの縁を感じ、昨年(2016年)の広島での慰霊祭は遺族代表として献花させてもらった。その際、被爆二世の集まりに参加し二世の方たちの思いを知ることになった。
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母の心の底からの悲しみを受け継いで〔初出・第4集〕
松田 ひとえ  旭川市

父に会いたい、母に会いたい、そして力いっぱい抱きしめてもらいたい。
私の両親は広島で被爆しました。当時父は28歳、爆心地から2.5kmのところで一瞬のうちに妻と2歳の娘を亡くしました。隣町の皆実町で、平凡だけど幸せに暮らしていた20歳の母も、爆風に飛ばされ、ガラス片を浴び、夢中で焼けただれた父親を背中におぶり、火の海の中をはだしのまま日赤病院に走ったそうです。
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【長崎】
父の被曝体験地 長崎を訪ねて〔第4集〕
マシオン 恵美香  釧路市

父は山頂で初めて、呆気にとられるほど大きなきのこ雲が、ものすごいスピードで迫ってきたことに気付いたと言っていました。山中、あるいは谷に居たために、熱線などを受けずに済んだのでしょうが、父が弟の手を取って走って下山している最中に雨が降ったことなどからは、爆心地からの距離までは推量できません。……脱原子力、戦争の無い未来を次世代に継承するため、私も二世として課せられた役割を少しでも果たせるよう努力したいと考えています。
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