被爆者の絵
辻口 清吉(つじぐち せいきち)さん
1924年北海道下川町生まれ。2015年没。
45年2月徴集され、6月から船舶兵として暁部隊に配属、広島市宇品で被爆。
被爆直後の救援活動に当たり、街、被爆者の凄惨な姿を目の当たりにし、その体験を原爆の絵に描いた。
原画は広島平和記念資料館所蔵。
つぶれた防空ごうの中の若い母子、多くの人々が泥水の中に埋もれて死んでいた。
川一面に浮く多くの死体
元安川
全身やけどで目の見えない6歳くらいの男の子。両親や兄弟のことを一晩中語りあかし亡くなった。
憲兵隊の住居の地下室(基町と思われる)
やけどした兵隊。帽子を境に顔・首・手は焼けただれ手の皮は垂れ下がっていた。
西練兵場

服部 十郎(はっとり じゅうろう)さん
1929年生まれ。2020年没。福島県出身。
16歳の時志願、暁部隊の通信兵として比治山山麓に防空壕を掘る毎日を送る。
夜勤明けの就寝中に被爆。隊長の命を受け、被爆者への給水に走り回った。
戦後北海道へ。札幌に居を構えた65歳以降、被爆体験の語り部として活動。北海道被爆者協会副会長。
この世のものとも思えない姿で身体を揺らしながら歩く姿は地獄さながらだった。
水を求めてさまよう被爆者。やけどがひどく、特に上半身は目の当てられないほどだった。
戸板の上で、母親が必死に赤ちゃんを手元に引き寄せようとうごめいていた。
放火用水の水を汲み、やかんから被爆者の口に水をそそぐ作業が延々と続いた。
平方 亮三(ひらかた りょうぞう)さん
1941年長崎市生まれ。
4歳の時矢ノ平の自宅で母と被爆。頚椎に障害をかかえる。姉兄全員が被爆。高校卒業後叔父を頼って函館へ。
棟方志功に師事して版画を学ぶ。日本板画院会員。「核シリーズ」など多くの作品を制作。
「暉 閃光を感じて」(1988年)
「憬 美しい光景の彼方」(1986年)
「街 病める背骨と街と」(1968年)
「話すこと 思いを伝える」(1987年)
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